悲運の天才・坂本敏美騎手と・・・その似顔絵のつもり?
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“坂本さんの乗り方は見ても参考にはならない坂本さん独特な乗り方で誰も真似できない。もし、あの事故がなく現役を続けていたら(自分は)こんなに勝てなかった”と言うようなことを安藤勝己騎手が言っているのを安藤騎手の本かなにかで読んだ。
坂本の騎乗は、騎乗の基本からはまるでメン逸脱していたが、レースが終わってみれば見事に勝っている、まさに天才のなせる技で、真似をしたくてもできないというより、真似をする気すら起こさせない”とも言っているようです。

それを読んで『うまレター・エッセイで絵描き屋さんが描いてたあの坂本騎手のこったア』って、さっそく坂本敏美騎手について調べてみた。
変な乗り方で勝てない馬を勝たしちゃう騎手で落馬事故後車椅子生活としか知らなかったンでね。

と、同時に「救急車を待機させている仕事って他にない」と藤田伸二騎手が書いていたことも思い出した。
コースの内外にいつも一台待機しているもンな。


坂本敏美騎手
1985年、名古屋競馬第8レース、ハイセイヒメに騎乗。
4角付近でハイセイヒメに故障発生(心臓麻痺)、鞍上の坂本騎手は馬の右側に転倒。上半身を起こした坂本騎手の上にハイセイヒメの馬体がとんできてハイセイヒメは死亡。坂本騎手は頚椎(けいつい)損傷で首から下の肢体不随。
「あの時、起きないで寝ていれば良かったんだ」と上半身を起こしたことを振り返って坂本さん自身がいっていた。

坂本騎手はハイセイヒメの体調がおかしいので、次の7月19日のレース(事故発生レース)を止めるよう調教師達に進言も、聞き入れてもらえず、あの事故となった。

主催者の名古屋市とハイセイヒメの調教師を相手取って損害賠償訴訟を起こし敗訴。
名古屋市側から見舞金としての100万円をもらったのみ。
当時、騎手に対する補償制度が整っていなかったそうだが、厳しい話です。

デビューから3年後の1971年から1973年と1977年を除いて全ての年度で、名古屋競馬のリーディングジョッキーとなっている。
1977年度のリーディングジョッキーを逃したのは、騎手騎乗免許の更新忘れによるものだった。

地方競馬騎手招待レース時の10騎手が前後5人ずつならんだ集合写真に若くて精悍な面構えの安藤勝己騎手と同じ後列に坂本騎手も写っている。
それを参考に似顔絵を描いてみたンですが似てないか。

競馬を少しでも理解し、別な面から競馬を知ってもらい、多くの人に競馬場へ足を運んでもらいたいナと、思うのでス。

坂本敏美さんは、福井県勝山市の身体障害者施設でリハビリ生活送るが2008年2月10日心筋梗塞のため死去。56歳。
騎手通算戦績は、8897戦2483勝(勝率:0.279)



【騎手は左から乗り降りする。坂本騎手は右に、何故降りた?といった記事を読んだことがあるが、ここまで専門的な話になると理解能力不能。どのような意味あいの話なのか興味があります】


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by bacamasa | 2009-11-11 00:00 | 競馬 | Comments(0)
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