石川県の能登の名酒“宗玄”が三本セットを酒蔵で働く人から送られてきた。 日本酒は飲み終えた後にいつまでも舌にまとわり付く甘味が嫌いで苦手な酒となっていた。 まず最初に左端の『漲 ちょう』を冷で飲む。 次に、真ん中の生原酒『宗玄 そうげん』を飲んだ。 飲み込んだ後の舌が爽やかで、今まで口にしていた飲み回数の少ない日本酒のようにまとわり付く苦手な甘さが無い。 2キロの宗玄酒粕、昨年は5キロが二つ送られてきて,その量の多さに閉口してしまった。 2キロが丁度いい量ダ。半分はお裾分けし、後は甘酒や粕の味噌汁やなんやで美味しく消費できちゃう。 飲んでいるのが『漲』? 「ちょうです(駄洒落)」 日本酒飲むときには、手のひらにコポンと納まりそうな湯飲み茶碗か写真のようなぐい飲みだと思う。 ガラスのコップだと、だらしのないノンベって風に見えて嫌なんだ。 湯飲み茶碗やぐい飲みで飲むオレが上品な酒飲み? 階段から落ちるし、結果は“だらしのないノンベ”でも飲んでいる最中の見栄え、酔っ払ったら結果は皆ほぼ同じだ。 ぐい飲みは九州鹿児島(だったっけぇ?)の女陶芸家作。 この酒、和食料理に合うゾと思い札幌で宗玄を取り扱っている店を見つけた。 今までは、香りも苦手だった。 フニャァ~っと甘ったるいアルコールと麹が混じったようなフニャツンが駄目、宗玄にはそれが無い。 今までの日本酒という概念が吹っ飛んじゃった。 飲んで「美味いっ!」と言って、それを聞いて興味があったれ飲んでみて、何がどう美味かったのかと自分なりに分かればいい。 ギャラリー回りの自称“美術評論家”って類の人が多い、展示を見に来てネットなどでトンチな評論文を書いて、そのトンチを指摘されると「私は専門家じゃありませんので」 「美術評論家です」って言っていたゼ。 アレレレレェ~ 故・開口健さんが、サントリーでコピーライターとして活躍していた頃、外から帰ってきてフロントの酒棚からウィスキーを取り出して一杯飲んだ。 「やっぱり〇〇〇は美味いっ!」 それをフロントの女の子が「それは△△△ですよ」と訂正したんだそうです。 それを聞いて開口さんが「余計な事を言いなさんナ、〇〇〇が美味いって飲んでいるのだからそれでいいのであります」と言うように怒ったそうです。 その時の体調、気分などで飲んだ「美味い!」の一杯を「美味い」で終わらせてくれなかった腹立ち分かるナ。 この時の「美味いっ!」の一杯には、銘柄の訂正なんて必要ないんです・・・・「よっ!」 絵を観て素直に感じた事が大事なんだって、評論家ってそんなに必要? ピカソのゲルニカの前に立った女子高生が釘ずけになって涙が止まらなくなったってことがあるんだし、観る人の感性に任せとけって、自称・評論家は邪魔だね。 何の分野でもの自称が邪魔! 映画も映画評論家が絶賛するモンて外れが多いンでしょう。 酒を飲む目的は『気絶寸前まで酔う』なんだし、途中飲み口がいいと更にいいだけよオレは。 若い頃、酒を相手にする仕事を長い時間していたオレだけのオレの結論でした。 『宗玄』で日本酒好きになるかもなって、考えている。 少しずつ春めいてきた。 枝先を抱え込んで下から雪どけし、枝先をグイグイ引き下げ、最後には引きちぎってしまう。 今年はどの位やられちゃうのか少し心配と思いっきりの諦めでしかないな。
by bacamasa
| 2012-02-26 04:00
| 酒(珈琲・紅茶・茶)
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